動画で知る ドールフィリピンのバナナ農園・栽培の様子

~奇跡の果実バナナが教えてくれたこと クリエーター和田率 フィリピンを行く〜

バナナ農園から食卓に上がるまでのバナナの流れを追い、新たなバナナの魅力を探る旅番組。料理愛好家・平野レミを母にもち、元CMプランナーの和田率氏を番組ナビゲーターに起用。Doleでおなじみの極撰バナナやスウィーティオバナナ、低糖度バナナの園地や味の違いの秘密もご紹介します。人気急上昇中のモデルで食育インストラクターの妻、和田明日香さんも登場します。

放送日時:2017年2月4日(土) 50分 放送局:BSフジ

~奇跡の果実バナナが教えてくれたこと
クリエーター和田率 フィリピンを行く〜

ナビゲーター :和田 率

40年近くにわたって、週刊文春の表紙のイラストをはじめデザイナーそして映画監督など現在も様々な分野で活躍する和田誠さんを父に持ち、母は料理愛好家の平野レミさん。兄は人気ロックバンド「トライセラトップス」の和田唱さん。自身は、広告代理店でマクドナルドやコカコーラなど大手企業のCMを手掛けるプランナーとして活躍。

しかし3年前、そんな輝かしい仕事を辞め、母レミさんをスーパーバイザーに迎え「remy」という食をテーマにしたブランドを立ち上げました。でも、率さんは、もともと食にこだわりがあったわけではありません。きっかけは明日香さんとの結婚でした。

現在、レミさんと共に食育インストラクターとしてTVや雑誌など幅広く活躍する明日香さんですが、結婚した当初は「キャベツとレタスの違いは産地の違い」と思っていたほどの料理音痴。
そんな夫婦が家庭を築くうえで思い出したのは母の言葉でした。特に思い出したのはこの言葉「幸せはキッチンから生まれる」。やがて子供が産まれ、食に対する考えはより強くなりました。

そんなある日、母から「美味しいレシピをもっと広める方法は何かないの?」と言われたことをきっかけに、思い切って会社を辞め2014年「remy」を立ち上げます。
WEBサイトでは、母や明日香さんのオリジナルレシピや「レミパン」の名で知られるオリジナルの商品など、幅広い食のコンテンツを発信して、多くのファンを魅了しています。

かつて、食に対して何のこだわりもなかった率さん。
今では毎朝家族の朝食を作り、食の知識の専門家「食学士」の資格も取得。あらゆる食について学んでいます。
そんな率さんにひとつお願いをしました。
「バナナを使った最高のレシピを作ってください。」
そのレシピを考えるため和田率は旅に出る。向かった先はフィリピン。

バナナの起源と歴史

紀元前5000年頃、偶然できた種のないバナナの苗を、人が栽培したのがそのはじまりと言われている。
日本に初めてバナナが輸入されたのは、明治時代のこと。
当初は主に台湾から輸入され、1960年代に広大なプランテーションがフィリピンに作られ、以来日本では、1年中いつでも身近な果物として親しまれている。
改めて考えてみると、意外とバナナは知らないことが多い。
なぜフィリピンだったのか、種類はどれくらいあるのか、どうやって栽培されどんな形で実がなり収穫されるのか。
CMプランナーの時代から和田率には心がけてきたことがある。
それは、嘘をつかないこと。そのためにフィリピンで苗作りから収穫までそして本場のバナナ料理までを学び最高のレシピを考えた。

フィリピンの概要とバナナ生産について

東京、成田空港からフィリピンの首都マニラまで日本航空の直行便で約4時間半。朝と夜の2便が毎日運航しています。
ところで、フィリピンってどんな国だか知っていますか?
太平洋に浮かぶ大小合わせて7,000以上もの島々からなる、世界第2位の群島国家。日本との時差は1時間。

フィリピンというと、首都マニラの混沌としたイメージを思い浮かべる人がほとんどですが、マニラを離れると熱帯特有の自然が多く残され、東側には太平洋、西側には南シナ海。それぞれ特有の美しいコーストラインを有し、透き通った海にコーラルリーフを持つ素敵なビーチが点在しています。
そして、あまり知られていませんが、フィリピンには世界的なサーフポイントが点在しています。

空港周辺の街を離れればもうそこはほとんどジャングル。
フィリピンのあちこちでバナナは自生しています。つまり、この国の環境はバナナに適しているわけです。

サーフィンの前にバナナを食べるようにしているという和田さんのお話

海に入る前、先輩のサーファーがいつもバナナを食べていた。
最初は馬鹿にしていたけど試しにやってみたら驚いた。
すぐに体が吸収してエネルギーに変えてくれる。
そして何より自然を相手にするスポーツにしっくりくる。

バナナの栽培から収穫までの方法について

台風が多い国で、なぜ安定してバナナを日本に供給できるのか。
そこで率さんは、日本で食べられているバナナの産地、ミンダナオ島・ダバオへ移動し、その環境を見ることにしました。
マニラ、セブに次ぐフィリピン第三の都市。
そして日本に輸入されるバナナの90%がここダバオで作られています。
フィリピンで最大規模のバナナ農園を運営しているドールは、日本へのバナナ輸出量でも1、2を争うブランドです。

<高地栽培・低地栽培>

バナナは、栽培される土地の標高によって価格が変わります。高地栽培のバナナは高価で、低地栽培のバナナは手ごろな価格で売られています。バナナはこれまで、標高200メートル以下の温かい土地で栽培されてきましたが、高地栽培はあえて標高500メートル以上の寒暖差のある高地で栽培され、もっちりとした食感と深い甘みが特徴です。

<農園の衛生管理>

他の土地で付着した菌が園内へ持ち込まれるのを防ぐため、必ず用意された長靴に履き替え、足元を消毒して農園に入ります。

<バナナの成長過程>

率さんは、「バナナの木」と表現しましたが、実は木のように見える部分は、「偽茎(ぎけい)」と呼ばれ、幹にあたる部分はやわらかい葉が重なり合った玉ねぎを引き延ばしたようなもの。 バナナという植物は、80%が水でできています。

畑に植え付けてから半年ほどたつと、「苞」と呼ばれる、葉で覆われたふくらみが現れ、その部分が次第に垂れ下がり、赤紫の巨大な筆先のようになります。
赤紫の苞は、別名「バナナハート」と呼ばれるバナナの実が隠された一番重要な部分な部分。苞が1枚ずつめくれると、2列に並んだ小さなバナナの実と先端の白い花が顔を出します。
次々と苞がめくれて実が現れ、やがて1本の茎に10以上のバナナの房がなります。

重力に逆らうように、上に反って育つバナナ。
一説には太陽に向かって曲がるとも言われています。この農園では、バナナの実がなると昆虫やほこりなどから保護するため袋をかぶせます。そして、余分な花を取り、樹液が他のバナナにかからないよう一房ずつ新聞紙でカバーしたり、成長するにつれに重みが増して果実が落ちてしまわないようにロープで補強するなど、美味しいバナナを作るため日々細かな作業が行われています。

<バナナ栽培に必要な水の確保>

バナナ農園には水が必要不可欠です。

このダバオは去年一昨年と2年続けて干ばつに見舞われました。日本に安定してバナナを供給するため、いつでも水がいきわたるよう、この設備を整えました。
でも、元々ダバオは気温や降水量なども1年を通じて大きく変化しない安定した気候。しかも、台風発生海域より南に位置していることから、ドールは1960年代の中頃、ダバオにバナナ事業の本拠地を構えます。

<収穫作業>

植え付けから9か月くらい経つと、実も十分に育ち、収穫時期を迎えます。収穫はバナナを傷つけないように、2人1組で行います。収穫方法はいろいろあるのですが、ここは特に低地栽培で使われている方法で収穫したバナナをケーブルを使って輸送します。

まず茎全体を切り落とします。
それをこうケーブルに掛けるんですね?
そうです。ケーブルを使って出荷梱包工場まで運びます。
このケーブルの長さはどれくらいありますか?
3kmです
これが3kmも続くんですか?どうやって動かすのですか?電動?それとも人が引っ張るのですか?
人が手で引っ張っています。
何人くらいで引っ張っているのですか?
1人でやっています。

できるだけ嘘をつかないというのが僕の主義。
ならばすべてを体験しようと収穫作業をやってみる。
現地では、茎全体の塊をステム、一房をハンドと呼ぶ。
受け手も体験したがとにかくその重さに驚いた。切り落としたひとつのステムの重さは少なくとも20㎏。

バナナはどうやって生まれるのか

<苗の培養>

私たちが普段食べているバナナは種を作らない品種。ではどうやってバナナを増やすのでしょう。
そこでバナナの苗を作っている施設を訪ねました。
ここはバナナの大元である苗を作る施設。
清潔な環境で培養することで、健康な苗を育てています。
では、どうやってその苗を作るのでしょう。

ここで苗を育てるのですが、まずは子株探しから始めます。子株は親株から発生します。
元気で生き生きした親株から発生した子株を探します。

バナナは、優れた子株を株分けして育てます。優れた子株の中心にある成長点を刻み、その1つ1つを育てます。
これを繰り返して、1本の親株からなんと1000本以上の苗を作ることができます。
約8ヶ月かけて育てた苗は、自然環境に耐えられる強い苗にするために、屋内から、屋外施設へ移されます。

<培養土>

こちらの培養土ですがココピートで出来ています。
ココピートとは、ヤシ殻を加工し繊維状にしたもの。通気性に加え、保水、排水に優れ、原材料が100%天然素材なので、地球にやさしいこれからの用土として、今注目されています。

ココピートはいつでも手に入れることができますから。
ココピートの培養土が作られるようになったのはいつ頃からですか?
2000年くらいですかね。
じゃあまだ新しい技術なんですね。

農園の打撃となるバナナの病気の多くは土壌が元で発生しています。土が原因なんです。
ですからバナナの木が病気にかかるのを避けるためにココピートの培養土を利用しています。

現地のバナナ料理

こちらは春巻きのようなものですが中にバナナが入っていて砂糖をカラメルにしたもので味付けしています。
揚げてあるんですね。
バナナを春巻きの皮で包んで揚げたものです。揚げてカラメルソースで味付けしています。現地の言葉でトロンというお菓子です。フィリピンでは定番のお菓子です。
こちらはマッシュバナナです。
マッシュポテトみたいなもんですね。
青バナナを茹でて皮を剥いて潰し砂糖とココナッツを加えて混ぜ合わせます。白いところはヤングココナッツです。

その他、バナナを薄切りにしお花のように開いたものをパンケーキミックスに絡めて揚げ、最後に砂糖をまぶしたマルヤ。 バナナの素揚げで砂糖をまぶしたバナナキュー。
どれもちょっと甘そうに見えますがフィリピンで多く使われる甘くない料理用のバナナを使っているため結構美味しくいただけます。

高地栽培のバナナ

<高地栽培バナナの特徴と低地栽培との違い>

高地栽培は先が丸くなっていますが、低地栽培バナナは先が尖っています。
高地栽培のバナナは、先が大きく軸も太いのが特徴です。
一番の違いは糖度です。

高地では1日の寒暖差が大きいため、栽培期間が低地栽培よりも3ヵ月近くも長く、バナナはゆっくり成長します。
その時間の中で、きめ細やかなでんぷん質が蓄えられ、そのでんぷん質が糖に変わって甘さが増すのです。

かつて、日本に輸入される中心は台湾バナナ。フィリピン産が主流になった頃、あまりバナナが甘くなくなったという声が多くなります。フィリピンバナナの糖度は20度前後。
そこでドールは品種から見直し、高地栽培に取り組み、糖度23度以上のバナナを育てることに成功したのです。

<子株の成長>

収穫を終えたバナナは、これ以上成長させないため、葉を落とされます。しかし、その根元には子株が育っていて、収穫後、親株が蓄えている養分を子株が吸収できるよう、しばらくの間切らずに残しておくのです。
親株の中はストロー上になっていて、水分や養分の通り道になっている。

バナナの日本への輸送について

実は、バナナは青いまま日本に運ばれます。収穫されたバナナは農園に隣接したパッキングプラントで洗浄・選別されたあと、販売規格に合わせて、カット、袋詰め、箱詰めされます。箱詰めされたバナナは、ダバオの港で船積みされ、約5日かけて日本へ運ばれます。
日本にはフィリピンから毎週2回船で輸送され、1回の船で運ぶのはドールのバナナだけで約18万ケース。1ヵ月で日本の人口に近い本数のバナナを、ドール社だけで輸入していることになります。
高性能な冷蔵船に積まれ、船内では鮮度を保つ適切な温度を保ち、休眠した状態で日本に運ばれます。
日本に到着後、検査を受け、日本各地200㎞圏内ごとに設けられた加工センターに運ばれます。
この段階でも、バナナはまだ食べられる状態ではありません。バナナの熟成庫、ムロと呼ばれる部屋に運ばれ、温度、湿度、二酸化炭素濃度などをコントロールしながら、約1週間かけ、美味しいバナナに仕上げていきます。

和田氏考案のバナナレシピ

最初は、高級な高地栽培バナナのレシピ。
高地栽培バナナのレシピはカレーです。
煮込んでいる間に低地栽培バナナのレシピ。
低地栽培バナナの適度な甘みと、ベーコンやチーズの塩気、ココナッツオイルたっぷりで炒めたスクランブルエッグが絶妙に合わさり、まったく新しいトロピカルマフィンです。
カレーも仕上げに味をみながら、さらにバナナを加え、最後の決め手はココナッツオイル。なじませたら完成です。
苗の頃からココナッツと一緒のダバオのバナナ。そんな関係を味と香りで表現したトロピカルカレーです。

黄色一色、姿形もシンプルで、種もなく、皮をむいて食べるだけ。そんな単純なバナナの成長物語は、長く、険しく、複雑だ。それは作る人の努力のドラマであり、生命を受け継ぐ涙ぐましい親子のドラマでもあった。気付くと、バナナを食べるとき「ありがとう」と思っている自分がいた。

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